鎧橋(かぶとばし)

鎧橋の創架は、明治五年(1872)に架橋された木橋で1888年に鉄骨トラス橋に改架され、現在の鎧橋は、鉄骨トラス橋の老朽化に伴い1957年に改架された3スパン銅製ゲルバー桁橋です。

鎧橋の名は、鎧の渡しに由来し鎧の渡しにあった船着場に架設され、鎧橋と呼ばれる。鎧の渡しは、歌川広重の名所江戸百景に描かれています。

鎧橋の西側は、日本橋兜町で、兜町の名は、平将門の兜を奉った事から由来しています。

兜町は株や証券の街で証券会社も集中しています。今は無き山一證券もこの兜町にありましたね。
1878年、渋沢栄一が東京株式取引所を創設し、日本初の上場株式として自己の株式を上場したのが株や証券の街としての兜町の原点です。

鎧橋の外観

鎧橋の外観です。橋の外側に間隔を置いて突き出ている鉄骨が、ごつごつした鎧のイメージらしい。

鎧橋の親柱

鎧橋の飾り。ひょっとして親柱か!?多分、鎧を意識したんでしょうね。
茂みに株券落ちていないかな・・・・(^^;

鎧橋の説明

鎧橋
鎧橋が最初に架かったのは明治五年で、当時の豪商が自費で架けたのが始まりです。橋が架けられたのと前後して米や油の取引所、銀行や株式取引所などが開業し、この地は大いに賑わいました。
その後、明治二十一年には鋼製のプラットトラス橋に架け替えられました。
その頃の様子を文豪 谷崎潤一郎は「幼少時代」でこんな風に書いています。
「鎧橋の欄干に顔を押しつけて、水の流れを見つめていると、この橋が動いているように見える・・・・
私は、渋沢邸のお伽のような建物を、いつも不思議な気持ちで飽かず見入ったものである・・・・・・・
対岸の小網町には、土蔵の白壁が幾棟となく並んでいる。このあたりは、石版刷りの西洋風景画のように日本離れした空気をただよわせている。」
現在の橋は昭和三十二年七月に完成したもので、ゲルバー桁橋とよばれるものです。
橋の外側に間隔を置いて突き出ている鉄骨が、ごつごつした鎧を感じさせます。

鎧の渡し跡

鎧(よろい)の渡し跡
所在地
 中央区日本橋小網町八・九番
 日本橋茅場町一丁目・日本橋兜町一番
鎧の渡しは、江戸時代の元禄年間(一六八八〜一七〇四)以来の切絵図や地誌類にも記される日本橋川の渡し場で、明治五年(一八七二)に鎧橋が掛けられるまで存続しました。
伝説によると、平安の昔、源頼義が奥州平定の途中、ここで暴風逆浪にあい、鎧を海中に投げ入れて竜神に祈りを捧げたところ、無事に渡ることができたので、以来ここを鎧が淵と呼んだといわれています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。
「江戸名所図会」や安藤広重の「江戸名所百景」には、渡しの図が描かれ、このほか、この渡しを詠んだ俳句や狂歌等も知られています。
縁日に 買うてぞ帰る おもだかも
    逆さにうつる鎧のわたし (和朝亭国盛)
平成一六年三月
中央区教育委員会

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