神田橋(かんだばし)

神田橋は、鎌倉橋の上流約240メートルの所にあり大手町一丁目から神田錦町一丁目と内神田一丁目の間に通じる橋です。

江戸時代の神田橋門の跡にあります。別本慶長江戸図には芝崎口と記載されていますが、寛永図では大炊殿橋となっています。 それは橋の西南に土井大炊頭の屋敷があったためで、その後神田橋と改め、1873年)櫓門撤去、1884年木橋を改架、のち道路拡張と電車開通にともない改修しましたが、関東大震災で焼失。現在の橋は1925年の架橋で、石及びコンクリ−ト橋です。別名として、「大炊殿橋」があります

神田橋の地下に、東京メトロ千代田線が走ってて千代田線、開業は1964年、路線名は、千代田区から由来していそうです。

神田橋の外観

神田橋の外観です。高速道路がとても低いです。

神田橋の北側は、内神田1丁目。江戸時代、神田橋は江戸城郭門の一つ、日光御成道の起点としての要所であった。江戸城郭は、外郭門27と内郭門7があったと云われる。神田橋は、要所であった為に、明治維新まで建造物が無かった。この空き地に、首都高速都心環状線の神田橋出入口が出来た。

日光御成道は、江戸城大手門から神田橋門、将軍が日光東照宮へ参拝する街道の呼称。日光街道の脇街道だが、幸手宿で日光街道と合流。大手門は、江戸城の本丸、二の丸、三の丸跡の東に位置する江戸城の正門。藤堂高虎の縄張りで1606年に建設が始まり、伊達政宗が枡形門を完成させた。

神田橋の親柱

神田橋の親柱。橋名がやけに光っていますね。

枡形門は、二つの門、第一の高麗門、第二の渡櫓門からなる。門から攻め入った敵を囲み、立ち往生させる城門として、江戸府内の三十六見附門の全て枡形門。

大手門から江戸城本丸までに、大手三の門、中の門、玄関前門とあったが、現在は、石垣が残存するのみ。

神田橋の説明

神田橋
 この橋を神田橋といいます。慶長七年(一六〇二)頃といわれる「別本慶長江戸図」にも橋が描かれ、「芝崎口」と名が記されています。のち、近くに拝領屋敷があった土井大射炊頭利勝に因んで、「大炊殿橋」と呼ばれていました。さらに、神田の町へ出入することから、「神田口橋」・「神田橋」と呼称が変ってきました。
 ここには、かって江戸城の守備のために築かれた内郭門の一つ神田橋門がありました。橋を渡った大手町側には枡形石垣があり、橋と一体で門を構成していました。
 神田橋門は、寛永六年(一六九二)に、稲葉丹後守正之によって構築されました。この門を通る道筋は、将軍が菩提寺の一つである上野寛永寺へ参詣する御成道にあたりますので、厳重な警備がされていました。鉄砲十挺・弓五張・長柄槍十筋・持筒二挺・持弓一組が常備され、外様大名で七万石以上の者、あるいは国持大名の分家筋で三万石以上の者が、警備を担当していました。
 現在の橋は、大正十四年(一九二五)十一月架設、長さ十七.三m幅三四mです。
     平成一八年九月 
    千代田区教育委員会

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