錦橋(にしきばし)

錦橋は、1927年に架橋された鉄筋コンクリート製のアーチ橋。大手町と神田錦町を繋ぐ、千代田通りが通ります

錦橋は、神田橋の上流約400メートルの所にあります。大手町一丁目から神田錦町三丁目に通じる道筋です。関東大震災の復興橋の一つで、1927年に架設されたコンクリ−ト橋です。橋名は錦町や錦町河岸(旧地名)から付けられました。「錦」は昔近くに一色という武家屋敷が二軒あったので、二色→錦と転化したのだといわれています)。

錦橋の両岸には、多くの大名屋敷が建てられていた。大きな敷地割であった大名屋敷跡地には、気象庁、東京消防庁等が並んでいる。又、例外として細かく仕切られた敷地は、維新後に河岸地になったと云われる。

錦橋の外観

錦橋の外観です。

錦橋の北側、錦町河岸は、神田錦町3丁目界隈。神田錦町3丁目の学士会館に、2003年「日本野球発祥の地」の記念碑が建立。

神保町の古書店街にほど近い、歴史的建造物、学士会館の敷地内に日本野球発祥の地の碑があります。この碑の除幕式には、野球の神様といわれた9連覇時代の元巨人軍川上哲治氏来賓としていらっしゃったそうです。そこで川上氏は”もし、野球が日本に来なかったら私は熊本の田舎者にすぎなかった”とあいさつしたそうです。そもそも当地は東京大学発祥の地でもあります。

錦橋の外観

錦橋の外観です。

東大の前身開成学校が創設された場所で、1872年学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれた同校でアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏 が学課の傍ら生徒達に野球を教えたそうです。この野球は翌明治5年(1873)年に新校舎とともに 立派な運動場が整備されると、本格的な試合ができるまでに成長しました。これが日本の野球の始まりといわれています。

1876年初夏に京浜在住のアメリカ人チームと国際試合をした記録も残っています。ボールを握る右手をかたどった碑はブロンズ製ボール上には世界地図が描かれ 日本と米国を縫い目によって結ぶことで「野球の国際化を表現」しています。

錦橋の親柱

錦橋の親柱。ちょっと痛んでいますね。

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