雉子橋(きじばし)

雉子橋は、銅製のアーチ橋。雉子橋から錦橋までは、日比谷入江の最上流部の埋め残し部分です。

雉子橋は、一ツ橋の上流約300メートルの所にあり、九段南一丁目と一ツ橋一丁目の間から一ツ橋二丁目へ南北に通じています。

江戸時代の雉子橋門跡の近くになります。雉子の名は、は徳川家康が朝鮮の使節を饗応するために、好物の雉子を囲った場所がこの辺りであったので、付けられたといわれています。1615年から1623年に門外の人家を移して雉子町としましたが、そこは現在の神田小川町一丁目南部一帯にあたります。

1629年に江戸城内郭門の一つ雉子橋門が造られました。その頃の雉子橋は、一ツ橋二丁目東南角の所から九段南一丁目へ東西に架けられていました。1873年に櫓門を撤去、1903年鉄橋に改架しましたが、関東大震災で被災しました。現在の橋は、1925年に、今の位置に架設されました。

雉子橋の外観

雉子橋の外観です。

雉子橋の説明

雉子橋
この橋は、雉子橋といいます。名称の由来について「御府内備考」に、「見聞集」云、関東御うち入の以後、から国の帝王より日本へ勅使わたり、数萬人の唐人江戸へ来たり、これらもてなし給には、雉子にまさる好物なしとて、諸国より雉子を集め給う。
この流れのみなかみに鳥屋をつくり、雉子をかぎりなく入をきぬ、その雉子屋のほとりに橋一つありけり、それを雉子橋となづけたりと」とかかれています。これは初め「俗称」であったのが橋名となってしまったようです。
外濠から平川濠につづいていて、江戸城本丸にも近いため警備も厳しかったといわれます。
”雉子橋でけんもほろほろに叱られる“
警衛の番士に厳しさとのけんけんと鳴く声をかけた意といわれています。
旧雉子橋は、この橋より100m程西側に架けられていました。
千代田区教育委員会

雉子は日本の国鳥で、オス全長80cm前後、メス60cm前後の美しい鳥で、河原の葦原や雑木林などの草むらに生息し、おどろいたとき以外は、飛ぶことは少ないそうです。ケンケーンとかケーッケッ、クックッと大きな声で鳴くそうです。
この泣き声は、”雉も鳴かずば打たれまい”とことわざもありますが、相当にうるさいそうです。

雉子橋の親柱

雉子橋の親柱。むむむ。痛んでいますね。

雉子橋の親柱

雉子橋の親柱。大正十四年十月竣功

蝶々

蝶々です。大都会の真ん中にも自然があって生物は生きているんですね。なんだかホットします。撮影時期は四月初旬。

スポンサードリンク

サイトMENU

Copyright (C) 2008-2016日本橋川・亀島川・隅田川の徒歩と舟の旅. All Rights Reserved.