亀島川・新亀島橋

霊岸橋の一つ下流の橋は「新亀島橋」です。霊岸橋と新亀島橋の距離は、200メートです。亀島の名の由来は諸説ありますが、「瓶(かめ)」が多く売られていた説が有名との事です。新亀島橋の初架は、明治15年(1882)木橋として架橋されました。現在の新亀島橋は、平成7年(1995)に改架された銅床の桁橋です。新亀島橋の親柱は、波の意匠がされ、橋上にはテラスが設けられています。

新亀島橋

新亀島橋。中央の張り出した部分がテラスです。

テラスの欄干の「廻船の荷下し」と「大川をのぼる廻船」

テラスの欄干には、左写真「廻船の荷下し」と、右写真「大川をのぼる廻船」と題したダイナミックなデザインのレリーフがはめ込まれています。
この写真は後日、橋の上から撮影しました。

新亀島橋のそばに新亀島橋の説明碑がありました。この写真も後日、地上から撮影しました。

新亀島橋の説明

新亀島橋
 新亀島橋が初めて架けられたのは、明治十五年(1882年)三月、長さ十五間(約二十七メートル)、幅三間(約五・四メー トル)の木橋であったと記録されています。
その後、大正十五年(一九二六年)三月に関東大震災後の復興事業により鋼桁の近代橋として架け替えられ、幅も十五メートルと三倍近くに広がりました。
 新亀島橋の名前は、この橋の下流に位置し、元禄の時代から架かる亀島橋に対して新の字を冠し、新亀島橋と名が付けられました。
 茅場町側の橋詰付近には、昭和の初め頃まで亀島町と呼ばれており、その昔、瓶を売るものは多かったことに由来し、瓶島町がその起こりといわれています。
江戸時代には町奉行配下の与力たちの屋敷が並び、また、亀島が環に臨む亀島町は水運を活用していたであろう米穀問屋が多い町でした。
 新川側は、菱垣廻船や樽廻船が往来し、上方から来る下り酒と呼ばれる酒を扱う酒問屋で賑わいを見せ「江戸新川は酒問屋をもって天下に知ら れ」といわれるほどでした。
 時代は平成となり、亀島川の耐震護岸整備の一環として生まれ変わった新亀島橋は、地域と亀島川の歴史的関わりを基調として、「廻船」をモチーフにデザインされました。「歴史と文化を後世に伝える架け橋」として江戸情緒をたっぷり取り入れ、各所に浮世絵風の意匠を凝らしています。
平成九年九月 中 央 区

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